Rosarium_philosphorum_Soul

2chのスレのテンプレとかぶらない内容を、
テンプレ(http://tetu-soku.blog.jp/archives/2234001.html)の元ネタサイト(http://www.michaelteachings.com/soul_ages.html)から抜粋して管理人が和訳してみました。

・魂の成長段階

 

・各段階の優先事項

乳児期 - 生命維持

幼年期 - 伝統・秩序に沿うこと、善悪二元論の徹底

若年期 - 権力、名声を求めること

成熟期 - 豊かで激しい感情を伴う人間関係

老年期 - 社会の規範から外れているにもかかわらず自己を肯定すること、今まで学んだことを教えること

 

・若い魂

 若い魂は一般的に、自分と異なる見解を持つ人にはほとんど尊敬の念を払わない。若い魂は生産的、勤勉で目的志向なので、彼らの視野はその程度までしか届かない。彼らは、自身の行動の動機とか倫理について疑念を持つことはない。彼らは文化の担い手である。しかし、量を重要視し、必ずしも質にはこだわらない。

 若い魂は感情的にオープンではないので、あまり良い親にはならないことが多い。子どもとの関係が希薄な親になってしまう。子どもは自分の感情を表現することを拒否される。

 若い魂は保守的だが、彼らの信仰の仕方は幼年の魂よりは柔軟である。教会では教義を押し付けたり、他のメンバーの行動や出席に対して憤ったりするよりは、メンバー同士の交流を促進したりする。若い魂にとって自己とは肉体であり、意識が肉体の消滅後も存続するかどうかには確信は持てない。地球はたった今、その若い魂の時期の最終段階にあるので、この時期、若い魂が肯定的な評価を得ることは容易である。有名大学の教授は主にこの若い魂の時期に属する。大企業のトップもそうである。

 若い魂の時期が終わりに近づくと、その魂は不安になり、何かが欠けていると思い始める。富、力、賞賛がいくらあっても満足できなくなり、利益や勝利がもはや、突出した価値を持たなくなる。

 

・成熟期

 このようにして、魂の成熟期は始まる。「私は誰なのか? なぜ私はここにいるのか?」と、頻繁に問われるようになる。

 試行錯誤を繰り返す、激しい時期。感情が溢れ出し、人と人の境が消失していく。人間関係の問題に深く取り組むことによって、他者の視点から物事を見ることができるようになる。急に、皆自分と同じように感情を持っているということに気がつく。若い魂が成功に向けてあれほど力を使うことができるのは、若い魂の内的生活が彼らの注意を引かないことが一因にある。だからこそ、彼らの力は邪魔されることなく外へと向けられることができる。しかし、成熟期においてはそうはいかない。成熟期は、一筋縄ではいかない、内省的なものである。成熟期になると、感情により重きが置かれ、密度が濃くなり、より精神分裂的になり、より苦しく、自殺率も上がり、より愛し、性的になる。ひょっとすると、これら全てを他のどの期間にも増して強めるために、ドラッグを使うこともあるかもしれない。創造性が溢れ出してくる。哲学と芸術の存在感が増す。現実をまやかしや歪められたものと受け取らざるをえなくなる。もはや、幼年期や若い魂の時にはあった揺るぎないものは、何もない。しかし、柔軟になることは簡単なことではない。

 成熟期の魂は、幼年期や若い時期の魂よりも多くを知覚しているだけなのだが、誤解され、神経症だと思われることが多い。よって、成熟した魂は大抵、自分のことを理解してくれる他の成熟した魂がいるコミュニティに惹きつけられる。アメリカのバークレーやケンブリッジ。オランダのアムステルダムなど。

 成熟した魂は、他の成熟した魂と一緒にいると、感情的に満たされ、「同じ道を歩んでいる」という気分になり、心地よく感じる。成熟した魂は、老年の魂に教えを仰いだり、しばしの癒しを求める。一方、若い魂によっては、世界に打って出る方法を思い出す。

 若い魂の時期と同様、成熟期に人々は社会的に活躍することが多い。ただし、成熟期の場合は野心や権力欲によってではなく、自分の内的なエネルギーが動因になる。個人の性格は魅力を十分に発揮し、面白く、創造的になる。成熟期の魂は高等教育を求めることが多いが、小規模の、伝統校ではない学校に惹きつけられることが多い。

 成熟期には、この時期特有の重視すべきことと、内的な指針がある。たとえば、成熟期の魂は、若い魂はこのことに驚くのだが、目的意識をもって、給料の良い、高い地位を捨てることがある。そうして、この時期に優先すべきことに従って、より創造的で社会に貢献する活動に身を費やすことがある。成熟期の魂は、音楽を愛したり、森でキノコを採ったりするかもしれない。ニューエイジの宗教や瞑想、形而上学への関心が深まり、束縛の少ないライフスタイル、様々な性や芸術のあり方、食や海外の料理への興味もひろがる。成熟期にある国は、物質的な価値や有効性よりも、社会関係を重視する。イタリア、ギリシャ、エジプトなど。イタリアは、戦後、約50回も内閣が不安定になった。成熟期にある国には、「国にはきちんと機能する政府が本当に必要なのか。色々変化があったほうがもっと面白いのではないか」という疑念がわく。危険性が表面化するまで、老朽化したインフラが放って置かれるということもある。このようなことは「小さなこと」と見なされるからだ。

 

・老年期の魂

 内的な深いレベルで、老年期の魂は、人々全てが相互に連関していることを感じる。直観的に、自分が全体の一部であることを感じるのだ。このようなイメージを持ちながら、老年期の魂はこのイメージに沿って生きようとし、他人を傷つけたり決めつけたりしないように最大限努める。完璧であろう、あらゆる交流において個人的な完全な状態を維持しようとするとする強い衝動がある。成熟期の魂の感情的な激しさからは脱する。人生の悲喜こもごもに対して、より客観的になる。

 幾多の文化や階級での人生が自分の本質へと徹底的に流れ込んで一つになっているので、人々や国々が躍起になっている「これが正しく、あれは間違い」「私たちは正しく、彼らは間違っている」という二元論に素直に参加することには、難しさを感じる。このような目で全てを見ることは、老年期の魂を落ち着かせ、より静かで、自分の中心に還っているようにさせる。このことによって、他の段階にいる魂からすると、彼らは受動的で弱くも見える

 老年期の魂の感受性は、35歳くらいになって初めて十分に開花する。しかし、それ以前においても、彼らは普通とは違うリズムで生きているとして非難される。彼らは普通ではない。この若い魂の文化の中では、基準値から二段階ほど離れている。彼らは、独立独歩で自らの感じ方や欲求に従うことに傾くので、エキセントリックに映る。ただし、エキセントリックとはいえ、彼らは通常無害なのだが。精神的な成長へのモチベーションは高いが、政治的・物質的な効力を育てるモチベーションは欠けている。やりたくないことはめったにやらず、自分自身の非伝統的な遂行を好むので、仕事に関する限り、彼らは最も安易な道を選ぶ。それは、すべてのエネルギーを精神的な成長に注ぐためである。多くの生を通して集められた本質が豊富なので、老年期の魂は、自分があまり従事していないことでも、様々なことにとても長けていることが多い。彼らは、自分の個人的成長を促す仕事に就こうとする。カウンセリング、教育、ボディワーク、園芸、大工仕事などを好む。多くは、哲学と芸術に惹きつけられる。教えるためには高等教育を受ける必要があるとわかった場合は、伝統的でない学校のほうが、内的な探求を遂行する機会が多いので、好まれる。高い家や車、服や宝石はそこまで実際老年期の魂の目的にはならない。9時5時の仕事も同様である。身体的な次元では全くもって面倒くさがりなので、老年期の魂は、請求書に追われることもある。しかし、物質的なゲームは老年期の魂の得意とすることではないのだ。しかし、老年期の魂にも物質的な世界で得意とすることもある。彼らが物理的な宇宙の法則を見出し、理解して使いこなすにつれて、より少ない努力で目的を達成できるようになるからだ。よって、老年期の魂は宇宙の法則を理解することに外的にも内的にも惹きつけられる。そうして、天文学や形而上学、タロットや他の古代の教えを紐解くようにもなる。老年期の魂は、多くの宗教や教えを探求する。中でも、愛を重視する宗教や、過去生で親しみのある宗教と共鳴することが多い。しかし、ルールに縛られることや、戒律に従うことは長くはもたない。ユニークや、個人的なスピリチュアルな取り組みを自分で編み出して行なっていることが多い。

 老年期の魂は、アガペーつまり無条件の愛に長けており、意識的に他の人々を決めつけないようにすることが多い。この理由から、老年期の魂の中には、腹立たしいほどよそよそしく見えるものもある。これは、これまでに多くの感情的な問題に取り組んできて、今回は理知的、哲学的、スピリチュアルな問題を吟味する意図でこの惑星に来ている魂の本質であることが多い。老年期の魂は、成熟期や若い魂よりも有名になることが少ない。そして、有名になるときは、教えるためであることが多い。老年期の魂の水準は、教える水準だからだ。これまでに学んだことを誰か他の人に伝えるまでは、この物理的なレベルでの経験は終わることはない。老年期の魂の国は、国際紛争において、中立を好む。そして、それが不可能な場合、暴力や殺戮に降伏することを選ぶ。多くの老年期の魂はちらばっており、タヒチのような島で休んでいたり、逆に、アフリカなどの場所で国や大陸を進歩させるために精力的に働いている。老年期の魂は、アマゾンのような赤ん坊の魂のエリアに転生し、彼らを導くこともある。より成長している魂のほうが、自分よりも若い魂がなぜそう感じるのかを、その逆に比べて、首尾よく理解できる傾向があるそれぞれの魂の年齢は、そのレベルの感受性の範囲内で可能なかぎりの経験を積もうと努力している乳児期の魂が基礎的な生命維持にのみ集中していることや、幼児期の魂が法と秩序を求めることは、絶対的に適切なのである。若い魂には、物質的な豊かさ、権力、賞賛を得ようと努力することかふさわしい。成熟期の魂には、激しく感情的になって、深い問いを問い始めることがふさわしいように。老年期の魂にとっては、社会的な規範に沿わないことがふさわしい。ほどよくエキセントリックに見せて振舞って、他の人を教えることが。彼自身の個人的あるいは物質的な人生がしっかりしていなかったとしても。老年期の魂に、会社で首尾よく昇進してほしいと期待することは現実的ではない。同様に、若い魂の野心的な弁護士に環境保護に関心を寄せてほしいと期待することも誤っている。感情的な大作ドラマに巻き込まれている成熟期の魂に客観的な全体像を見せれば、事が沈静化すると考えることも間違いだ。

 個人は、各々の魂の真の感受性に、およそ見積もって、その人生の三分の一の時期は達することはない。どこかで詰まったり、怠けたりするからだ。あるいは、魂の本質が、より野心的だったり感情的だったりした時の特定のカルマを生産する方が簡単だと判断するからである。ほとんどの老年期の魂(それか、成熟期の魂)は、その成熟的な段階を、十代の頃や、二十代前半に経験する。老年期の魂は、三十五くらいになるまでは、老年期の魂にふさわしい態度を一貫してとるわけではないことが多い。そして、三十五になったとしても、老年期の魂のあり方を示すのは人生の一時期だけであり、他の時期ではそうではない。たとえば、安全ボタンが押されると、老年期の魂の意識で完全に居続けることは多くの場合困難である。

 老年期の魂が幼年期の規範性や、若年期の野心や、成熟期の感情のアップダウンの一部から無事解放されることができるのは、これらの性質が十分に自らの個性に統合され、必要なときにだけそれらを呼び出せるようになった場合だけである。他の魂の成長段階の課題や恩恵を避けようとする試みは、無駄に終わる。

 この教えの目的はアガペーであり、人より優位に立つことではない。魂がより若いからといって、知性が足りないとか、不適切だとか、間違っているわけではない。彼らの課題が生存、構造把握、野心や成功である一方で、あなたの課題が感情や宇宙の連関であるだけである。若い魂は、全体を構成する自然な一部分である。よって、もし優位に感じることに耽っているのなら、寛容を目的としよう。そうして、結局は自分を苦しめることになる、分断主義的な見方から解放されよう。